遵奉精神は嚴罰の因?

 少年甲、十八歳、運轉免許は持たないが、運轉したい氣持は強く、團地の敷地内で親の車を四五メーターばかり轉がした事なら二三度ある。

 それが或日、同じく團地の敷地内で車を轉がしてゐた處、アクセルを踏み過ぎてコントロールを失ひ、擧句、死亡事故を起して仕舞つた。

 驅附けた警察官にその場で逮捕され、取調べの結果、運轉技量未熟のゆゑを以て危險運轉致死傷罪を適用される事になり、最惡、懲役二十年を覺悟せねばならぬ立場となつた。

 一方、少年乙の場合、甲と同じく十八歳で、同じく無免許だが、甲と違つて大膽不敵、常習的に親の車を乘り囘しての無免許運轉暦は一年を超える。

 それが或日、惡友連と徹夜で車を乘り囘した擧句、居睡り運轉をやらかし、多數の歩行者を殺傷する事故を起して仕舞つた。

 當然に危險運轉致死傷罪が適用されるものと遺族も世間も思つた。

 しかし意外や意外、それは見送られ、最高刑が懲役七年の自動車運轉過失致死傷罪で起訴されるに止つた。無免許運轉暦一年以上の惡行が却つて評價され、車を安全に運轉する技量は保持してゐたものと看做されたのである。

 詰り、どうやら吾國の法律は、小心にその禁止事項に縛られがちな者よりも、それを大膽に破つて顧みない者の方に、却つて寛やかに適用されるらしい。

 少くとも素人目にはさう見えるのだが……。

 なほ少年乙のケースには言はずもがなのモデルがあるものゝ、少年甲は全くの架空の人物であり、その起した事故も成行もまた然りである。一應、莫迦念を押しておく。

悍ましくも下品な語呂合せ

 素人マラソンランナーでタレントの猫ひろしさんがカンボジアに國籍を移してのオリンピック出場をIOCから拒否されたとて、メデイアやネットの世界では「猫いらず」なる語を用ゐた揶揄記事が飛び交つてゐるやうだ。

 何とも下品でお手輕で知性の缺片も感じられない、正しくC級D級の駄洒落である。

 さう云へば曾て田母神空幕長が筆禍を被つて更迭された折、「田母神だか死神だか知らないが……」と云ふコメントを洩らしたのは、長年自民黨の重鎭の一人であつた龜井靜香さんだつた。

 正に已んぬる哉、この語呂合せもまた無教養で悍ましく、もはや等級の附けやうもない。

 抑もかう云ふ悍ましくも下品な駄洒落や語呂合せの類ひは、たとへ思ひ附いても口に出さないのが全うな社會人と云ふものであり、教養ある大人と云ふものではないか。

 それを手柄顏して公言し、メデイアもまた飛附いて報道する。この國の大人達の知性や品性は一體どうなつて仕舞つたのだらう。

 まあ、かう云ふ人士の言葉やら文章やらは、罷り間違つても「聲に出して讀みたい日本語」の類ひに選ばれる怖れはあるまいが……。

私益に生きるか公益に死すか

 五日附産經新聞の「單刀直言」なる談話記事に、小澤一郎民主黨元代表を評して自民黨の森喜朗元首相がこんな事を語つてゐる。

 曰く、小澤さんが二十年以上政界再編を唱へて成就しないのはなぜだか分るかい?「國家のため」と言ひながら、心の中では「自分がどう生き延びるか」と邪な氣持を抱いてきたからぢやないのかな云々。(原文は略字新假名)

 蓋し至言であらう。

 尤も、國の爲よりも己が生き延びる事の方を優先するのは何も小澤さんに限つた事ではあるまい。例へば殆どの代議士諸公が政治活動と云ふ時、それは專ら次の選擧に備へての恒常的事前運動を意味してゐるとしか思へないし、また政治に金が掛ると云ふのも、要するに票田の維持やら支持者へのサーヴィスやらの爲に多數の祕書を抱へ事務所を構へてゐなければならず、その爲に金が掛ると云ふ事のやうにしか、少くとも私には解せないのである。

 成程、それはさうかもしれないが、公益よりも私益を優先するのは必ずしも政治家だけとは限らない、官僚だつてさうの筈だ、と云ふか。

 無論、官僚らのさう云ふビヘイビアーに就いては、折々の報道に見ゆる處である。

 けれども敢て言へば、物事には程度の差と云ふ事がある。即ち政治家が數年毎に選擧の關門を潛り拔けねばならぬのと異り、官僚らには一應定年までの身分保證があつて、而已ならず、その後は彼の惡名高き天下りもあつて、それやこれやで彼らが自らの爲に圖らねばならぬ度合は政治家らに比して遙かに小さく、その分、專ら國の爲を思つて行動する比率も高くなる道理である。これは屁理窟でもなければ私の想像でもない。現役時代に實際に官僚達の一部と附合ひ觀察した末の所見である。

 いやいや、程度の差があるからとて許す事はできない。政治家も官僚も皆公僕なのだから、一切の私益は忘れて百パーセント公益の爲に盡くすべきだ、と云ふか。

 さうありたいものである。事實、少くとも私は自衞官としてさうして來たと、實は昨夜までなら、暮夜密かに呟くくらゐの自信と誇りは持つてゐた。

 しかしそんな私の目に、同じく五日附産經新聞の【消えた偉人・物語】なる記事が觸れた。

 その偉人とは七世紀後半の吾國の武人にして「愛國の人」たる大伴部博麻(おおともべのはかま)である。彼は白村江の海戰に參加、敗れて唐の捕虜となり、長安に連行され、そこで祖國の安危に關はる重大情報を耳にする。それを吾が朝廷に傳へる爲、自らを奴隸に賣つて船賃を作り、仲間をクーリエとして歸國させた。それで博麻自身の歸國のチャンスが無くなつたのは當然の成行である。即ち彼は百パーセント己を滅して公に奉じたのだ。

 そんな物凄い勇者の物語を讀ませられては、私のさゝやかな自信や自己滿足など、ちよつと行き場に迷ふ。

 けれども……、と私は新聞を疉みつゝ思つたのだつた。私も博麻と同じやうな立場に置かれゝば、斷乎、彼と同じやうに振舞つたに違ひない。何しろ私は一應博麻の後裔なのだし、それに何より情報は私の專門職だつたのだから……。

 尤も、幸か不幸か既に老兵たる私には、萬が一にも博麻と同じやうな立場に置かれる可能性は先づ無い。

 しかし小澤一郎さんにはまだあるのではないか。政治家として私益に生きるのではなく公益に死する決定的なチャンスが。

 まあ、そのチャンスを活かして青史に名を残すか、逃して汚名を引つ被るかは畢竟御本人の選択に拘はる事だし、私にとつてはどうでもよい事だが。

事故防止の科學と信仰

 事故は不安全状態に不安全行爲が加はつて起る。これは一つの科學的事實である。

 例へば四月十二日に京の祇園で輕ワゴン車が暴走し、花見客らを次々と撥ね、擧句、運轉手を含む八人が死亡した事故や、同廿三日の朝、京都府龜岡市で暴走車が通學中の學童らの列に突つ込み十人を死傷させた事故は、道路に歩行者を保護すべきガードレールが無かつたと云ふ不安全状態に、運轉手が車を暴走させたと云ふ不安全行爲が重なつて生起した。

 また同廿九日早朝、群馬縣藤岡市の關越自動車道で長距離バスが道路の防音壁に激突して乘客ら多數が死傷した事故の場合、防音壁の手前のガードレールの設置方法が不適切で、防音壁の端ないしエッジに車が正面衝突するのを防ぐ構造になつてゐなかつたのが不安全状態であり、運轉手の居睡り運轉が不安全行爲であつた。

 詰りあのガードレールがもう少し長く、防音壁の内側に重なるやうに設置されてゐれば、あのバスは車體の側面を防音壁に擦りこそすれ、あのやうに眞つ二つに切り裂かれるやうな悲慘は避けられた筈なのだ。

 無論、上のどの事故の場合にも、それぞれの運轉手がもつと愼重かつ適法に振舞ひ、即ち不安全行爲を全くやらかさなければ、たとへ不安全状態が放置されてあつたとしても事故には到らなかつたであらう。

 けれども、神ならぬ人間は必ず過ちを犯す。無免許運轉や居睡り運轉をやらかさない迄も、速度違反を一度も犯した事のない運轉者は皆無に近からうし、或いはうつかりミスを生涯一度も犯した事がなく、これからも絶對に犯さない人もまた先づ存在しまい。

 だから事故防止に關はる科學に於ては、不安全状態の除去をこそ必須とする。不安全行爲の撲滅は無論、重視するものゝ、前提條件とはしない。それどころか、例へば航空大事故を防止する爲の諸施策に於ては、寧ろ不安全行爲が行はれる事を前提にして、それでも事故に直結せぬやうに、不安全状態の皆無化に努めるのである。

 然るに上の京都府の二事故の現場では、運轉者がミスを犯さない事、即ち不安全行爲をやらかさない事をこそ前提に、明らかな不安全状態が放置されてゐた。科學ではなく、人間の能力に對する過信ないし妄信に依據して、詰りは一つの信仰に縋つて、花見客や學童の安全を守らうとした。言ひ換へれば、運を天に任せてゐたのだ。

 また關越道のガードレールがあのやうにしか設置されてゐなかつたのは、明らかに設計者の想像力不足であらう。

 尤も人間の想像力もまた完璧では有り得ないし、不安全状態の排除に努めるのもまた人だから、その努力の過程に於てもやはりミスは皆無とし難い。畢竟する所、運を天に任せる他は無いのだ、とも言へる。

 また京の祇園の事故では横斷歩道を渡つてゐて被害に遭つた人が多かつたが、横斷歩道にガードレールは設置できず、詰り不安全状態を物理的に排除する方法は無い譯で、この場合、例へば赤信號に對面して走行する車の停止を確認又は確信できてから横斷歩道に足を踏み入れると云ふが如き全き安全行爲、即ち不完全なる人間の判斷力や注意力に專ら依存して事故を囘避する他は無く、これまた運を天に任せる類ひとなる。

 さう云ふ例は他にもある筈だし、それやこれやで事故はこれまでも繰返されて來たし、これからも繰返されるのであらう。

 けれども人間、運を天に任せて諦めるのは飽迄も人事を盡くして後の事でなければならない。その爲に、冒頭に掲げた科學的知見はもつと活用されねばならぬ。人間の能力や注意力に對する美しい信仰は一先づ取り下げて、科學的ないし物理的に不安全状態を排除し、安全状態を作り上げる努力を拂はねばならぬ。でないと事故の犧牲者らは浮ばれまい。

 合掌。

前田武志國交相の爪の垢

 或日、連帶保證人として自分の署名捺印がある借用證書を見せられ、そこに記された借金の返濟を求められて、「いや、それは知人に促されて、名宛人や内容もチェックせず署名捺印したものだ。まさか借金の連帶保證とは知らなかつた」と言譯したからとて、その債務負擔を免れる事が出來るだらうか。

 無論、出來ない。出來る譯が無い。それは普通の大人ならば誰もが辨へてゐる類ひの常識であらう。

 ところが民主黨の首腦らにはその常識が通じない。彼らによれば、この連帶保證は全く無效らしいのだ。前田武志國交相の公職選擧法違反問題を廻る彼らの主張を聞いてゐると、さう言つてゐるとしか思へない。

 けれども、苟くも吾が與黨首腦がそれほど非常識人揃ひだと云ふのも、俄かには信じ難い事である。それこそ常識に反するからだ。

 そこで考へるに、もしかしたら彼らは常識を缺いてゐる譯ではなく、たゞ面の皮が厚いだけなのだらうか。

 だとすれば、まだしも救ひがある。政治家にとつて面の皮が厚いと云ふのは、實は必ずしも惡い事ではないからだ。例へば尖閣諸島の領有權を主張したり、「南京大虐殺」の非を鳴らしたりする時の中國首腦らの鐵面皮ぶりは洵に見事なばかりではないか。

 拉致問題を論ずる時の北朝鮮當局者や「從軍慰安婦」問題を難ずる時の韓國朝野の論者らもまた然り。

 對して吾が政治家らの弱腰ないしお人好し振りはどうだらう。正しい事を正しいとも言へず、只管妥協と讓歩を重ねるばかりである。

 少くともテレビや新聞の報道を見てゐる限り、さう云ふ印象を受ける。

 そこで提案だが、今後外交の任に當る政治家らには、前田武志國交相らの爪の垢を煎じて飮ませる事にしてはどうか。さうすれば少しは強かな交渉が出來るやうになるのではないか。

 まあ效目の程は保證の限りではないが。何しろ彼らの鐵面皮は自分の地位や利益を守る爲にしか機能を發揮しないものゝやうだから。

 呵々。
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