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湖畔の宿で手紙を燃せるか

 此の程、世に謂ふ「終活」とやらの一環、と云ふ程の事では無いものゝ、兎も角處分すべき手紙や原稿などを整理してゐて、ふと往年のヒット曲「湖畔の宿」の歌詞が頭を過ぎつた。

 高峰三枝子さんが歌つたその歌の主人公は「古い手紙」の幾通かを、旅先で獨りしみじみ讀み返さうとでもしたのだらう、「湖畔の宿」まで持參して、しかし「胸の傷みに堪へかねて」それは成し得ず、結局「昨日の夢と焚き捨て」たと云ふのだが、はて、恐らくは妙齢の御婦人に違ひないその旅人は、一體どこでその手紙を焚き捨てたのだらう。

 「湖畔の宿」であれ海岸のそれであれ、宿の個室に暖炉や圍爐裏や火鉢など裸火を燃せるやうな設へがしてあらうとは思へない。火の用心を考へれば、さう考へるのが當然と云ふものであらう。

 それなら宿の庭で獨り焚火でもしたのだらうか。が、それもまた許されまい。宿の從業員立會の許でなら裏庭での焚火くらゐは可能だつたかも知れないが、譯ありの「古い手紙」を燃すのに赤の他人が立會でと云ふ圖は如何にも想像し難い。

 唯一許されさうなのは宿のゴミ燒却爐を利用する手だが、これも立會人無しでは難しからうし、抑も「昨日の夢」をゴミ扱ひするのでは、この歌の詩情も旅情も臺無しにならうし。

 とすれば、この旅人、ひよつとしたらプリンセス・テンコーの大先輩か何かで、劇場の舞臺上ならぬ宿の個室の灰皿の上か何かで鮮やかに炎を操る奇術の心得でもあつたのだらうか、なんぞと愚かな事を思つてみたりもするのだが。

 今の世の中、生涯現役が理想だとて、大勢のスタッフに傅かれ醫師やヘリまでチャーターして某大陸最高峰とやらへの最高齢登山を試みたり、東京から九州まで歩いて移動しようとしたり、兎も角やたら御元氣なお年寄りの御活躍が傳へられる中、遙か昔に流行つた歌謡曲の歌詞にあれこれ突込みを入れると云ふ、非生産的にして怪しうこそ物狂ほしき營爲に時を消す老兵もゐる。

 まあ、こちとら高々五十代半ばにしてもはや現役に堪へずと判じられ退役を宣告された身だから、今更生涯現役を目指せと言はれても戸惑ふばかりなのだが。

 呵々。
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防衞力整備を繞る老兵の繰り言

 これは個人ないし集團の犯罪を強權を以て取締まる機關、詰り警察の存在しない社會での話なのだが、自家の息子達が萬が一にも隣家の娘さんらに對し不埒な行爲に及ばぬやう、小心翼々、戰々兢々たる一方、隣家のどら息子らが自家の愛娘達に淫らな行爲を仕掛ける可能性は固より、その明らかな徴候に對してさへ一片の懸念も示さず、のみならず自家の戸締まりを強化したり防犯カメラの類ひを設置したりする事すら、隣家一統を刺戟したりその機嫌を損なつたりする事を怖れて嚴しく自粛して暮らしてゐるが如き、そんな奇妙な一家がその無警察社會の何處かに存在するとしたら、その家の大人達の正氣は大いに疑はれて然るべきであらう。

 しかしそんな家族が、いやさ國家が、どうやら身近に存在する氣配がある。先頃閣議決定された「防衛計劃の大綱」や「中期防衞力整備計劃」等を過剩だとか憲法違反の虞があるとか評したり、公海上を飛行する我が哨戒機が隣國軍艦から射撃管制レーダー波を照射されてさへ、先づは「未來志向の話合ひ」とやらを主張したりする「リベラルな識者」らの言や、多くはそれを鵜呑みにする「市民」の聲なんぞを聽いてゐると、私はついつい上に描いたやうな「奇妙な一家」の存在を空想し、次いで我國の國家としての正氣を疑ひたくなるのである。

 莫迦念を押して置くが、我國が屬してゐる國際社會に「警察」は存在せず、詰り法の支配が及んでをらず、各國は自力を以て自國の主權や安全を維持する他ないのである。

 と云ふ事になれば、その「自力」は周辺諸國のそれを大きく凌駕しないまでも、餘裕を以て相殺し無力化し得る程には強力でなければならず、さもなくば國民は一夜たりとも安眠できぬ、と考へるのが正氣の大人と云ふものであらう。

 尤も「リベラルな識者」らや大方の「市民」らとは異なり、現實に國家の舵取りを擔つてゐる政府當局者らは辛うじて正氣を保つてゐる模樣であり、さればこそ現在計劃中ないし整備進行中の防衞力も、眞に「過剩」で「憲法違反」を疑はれる程に強力なものかどうかは兎も角、何とか「必要最小限」は滿たしつゝあるのではないか。隱居の身で手に入る限りの情報から私はさう判斷し、しどけなくも「安眠」に近い眠りを貪つてはゐるのだが。

 けれども、更に踏込んで論ずれば、抑も「必要最小限の防衞力」とは、嚴密に言へば全力を投入し盡くして初めて國防を完遂し得るやうなそれの謂であつて、もしも任務を完了して後、自衛隊員が唯の一名でも生き殘つてゐれば、その一名は「過剩な防衞力」であつたと、繰返しになるが言葉の嚴密な意味からは、さう云ふ事にならざるを得ない筈だ。

 一方、世の中には「必要にして十分な防衞力」と云ふ事もあつて、それを整備し保有してゐる國家は自國の軍民が被る損害を「必要最小限」に局限しながら防衞戰を戰ふと云ふ「贅澤」を追求し得るし、またさうするのが作戰の常識でもある。

 それゆゑ「正氣の大人」が統治する國々に於いては、それぞれ國力の範囲内で「必要にして十分な防衞力」の整備に努めてゐる筈なのだが、我國の爲政者らにその認識が、さうと言葉に出して表明する必要は無いにしても、果たしてあるのかどうか、そこの處が今一つはつきりしない。と言ふより、「必要最小限」と「必要にして十分」との違ひさへ辨別出來ずして防衞力整備を論じてゐる「識者」すら、我國朝野には案外に多いのではないか。

 と、そんな疑ひが、私に「無條件の安眠」を愉しませない要因の一つなのである。

 それがもしかして杞憂であれば、寧ろ同慶の到りなのだが。

譲位を退位と言ひ立てる無情

 今上は天長節に際しての御會見中

 一度ならず譲位と云ふ語を遣はれた

 然るにそれを傳へる大方の識者やテレビアナウンサーらは

 平然として退位々々と言ひ立てる

 彼らなりに意圖あつての事ではあらう

 しかし實に心無き仕業だと

 山人なんぞには思へてならぬのだが……

 

三屋清左衞門殘日録に思ふ

 最近、BSフジで、藤澤周平さん原作の時代劇ドラマ「三屋清左衞門殘日録」の三部構成版を觀たが、作中、妻に先立たれて寂しく隱居生活を送る立場の舅清左衞門に、優香さん扮する嫁のさとえが優しく、かつ明るく傅く姿が何とも美しく好ましかつた。恐らく藤澤さんは當時の武家社會に於ける嫁たる者の理想型を描き、そのドラマ化に當たつたスタッフやキャストらも原作者の意圖を忠實かつ完璧に映像化して見せたのであらう。無論嫁たる者に限らない、人にはそれぞれの立場に應じて肖るべき確乎とした型があると云ふ事、その安心感ないし信頼感が、私が時代劇を好む由縁の大なるものである。

 さう云へば平成五年に同じ原作をNHKが連續ドラマ化した際、さとえ役を演じたのは南果歩さんだつたが、その表現した筈の「嫁の理想型」は遺憾ながら私の心に然したる印象を殘してゐない。南さんの演技力が優香さんのそれに劣るとは思へないし、また當時の私は既に齡知命に達してをり、人間の立場に應ずる理想型の表出に感銘できない程に未熟だつたとも思ひたくない。だとすれば難癖の付け所は唯一つ、NHKの制作態度にしかない事になる。

 と言へば言ひ掛かりだとの苦情が出るかも知れないが、實はそれを受けて立つべき状況證據はある。清左衞門行き付けの小料理屋涌井の女将みさは清左衞門に心惹かれてゐるのだが、NHKの連續ドラマ版でみさを演じたかたせ梨乃さんを、當時の脚本家ら制作陣は清左衞門の留守中その隠居部屋に上がり込ませ、机上に置いてあつた「殘日録」の頁に口付けさせて紅のキスマークを遺させたり、偶々雪に足止めされて涌井に一泊した清左衞門の夜具に、その睡眠を妨げぬやうに氣を遣ひながらではあれ忍び込ませて一夜添ひ寝をさせたりもしてゐるのである。

 そんな大膽にして不埒なみさの振る舞ひが藤澤さんの原作にあるのかどうかは知らないが、それは何うあれ、かなりドラマチックで捨て難い筈の、またそれゆゑ私の記憶にも殘つたそんな「型破り」を、今回の三部構成版に於いてBSフジの脚本家らは、演者の麻生祐未さんに冒させてはゐない。一方は毎囘四十五分の全十四話構成、他方は一囘二時間の三部構成と云ふ、謂はゆる尺の違ひがエピソードの取捨に影響を及ぼしたと云ふ事も或いはあらう。けれども、人たる者、立場々々で如何なる型に從つて己を律するべきかと云ふ觀點よりも、ドラマとしての視聴者受けの方をNHKが重視した事に間違ひはなく、そんな制作陣の姿勢が只管「嫁の理想型」を熱演する南果歩さんの印象を幾分か稀釋したと云ふ事はあるのではないかと、私には今にして思へるのである。
 
 なほ、これは全く個人の好みの問題でしかないのだが、清左衞門役としてはBSフジ版の北大路欣也さんよりも、NHK版の仲代達矢さんの方が塡まつてゐたと私は思ふ。

 さう云へば仲代さんは數年前の藤沢周平新ドラマシリーズ「果し合い」に於いても、老年に達した厄介叔父たる庄司佐之助役を演じて洵に良い味を醸してゐた。

 が、その仲代さんも今は亡い。そして平成は往く。漫ろに寂しい限りである。

寧ろ高級に過ぎる教育勅語の論ひ

 曾て我國では、「嘘吐きは泥棒の始まり」と觀じ、一方「正直の頭に神宿る」と讃へるのが謂はゆる「大人の價値觀」のいろはとされ、子供らはそれを親や教師や社會から「押し付け」られ、或いは骨身に刻み込むやうに嚴しく「強制」されながら育つた。

 ところが戰後の或る時期から、萬づに「大人の價値觀」を子供らに押し付けたり強制したりするのは良くないとする根據不明の「價値觀」が、誰によつてかは知らず、世の氣弱な大人達に「押し付け」られるやうになり、斯くて子供らは嘘吐きが惡事であるとも正直が美德であるとも身に染みては知らされぬまゝに育つ事となつた。

 敢えて言ふ、現在社會の中堅ないし中核の位置を占めてゐる壮年者らの多くは、さうやつて育てられた「價値觀喪失世代の子供ら」に他なるまい。

 だからこそ、各種檢査データの捏造や改竄などが、多くの「一流企業」によつて、躊躇ひも罪惡感も伴ふ事なく日常茶飯に行はれてゐるのだらう。

 だからこそ、偶々それが發覺し、お詫びだか釋明だかの會見に出て來る「責任者」らの表情に、破廉恥罪を犯した者に當然有つて然るべき後ろめたさや羞恥の色が、少なくとも私の目には缺片も認められないのだらう。

 折から、またまた「教育勅語」の道德教材としての是非を論ふ騷ぎが巻き起こつてゐるやうだが、嘘を吐く事の是非さへ定かならぬ現下の我が世相に徴せば、見當違ひも甚だしい、寧ろ高級に過ぎる「教材」の論ひと言ふべきであらう。

 あれこれ思へば、實にうたてなき平成末期の我が世相ではある。
プロフィール

平成山人

Author:平成山人
 防大出身の元一等空佐。現役時代は情報を專門職としてゐました。
 生れは西國の軍港都市、育つたのは播州、現住地は東京西郊、西窓に遠富士を眺めるあたりです。
 聊か時代遅れで、少々臍曲りですが、間違つた事は言はない積りです。宜しくお附合ひ下さい。

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